岩手、宮城、福島にまたがる奥州三十三観音は、由緒や伽藍の規模など、他に誇りうる寺院が多く、奥州の歴史・文化を知る上で、貴重な文化財となっている。現在の札所は宝暦11年(1761年)に、気仙沼の三十番札所「補陀寺」の智膏和尚ら7人の僧によって定められた。
改訂版では各札所を示す地図に拡大図を付け、見やすくしたのが特徴。奥州三十三観音札所巡りが盛んに行われるようになったのは18世紀初めのころと推定されている。信仰のためだけでなく、遊山や観光といったレクリエーション的な意味合いも含まれていた。観音様に手を合わせ、美しい風景を眺めることで安らぎを求める、人々の思いは今も変わらないのだろう。